最後の晩餐の壁画を見た翌日、僕らは中央駅近くの宿泊先のホテル、スターホテルE.C.HOで朝食を済ませた後、地下鉄の2号線でCadrna駅へ向かった。
目的地は、Cadrna駅から少し離れたスフォルツァ城にあるロンダリーニのピエタ美術館。
この日も昨日に続いて強い雨。
最近は「雨男」の汚名を返上できていると思っていたが、まだまだこの肩書きを外すことができないようだ。
妻が呆れ顔で僕を見ている。
「この雨、僕のせいじゃないんだけど・・・」
ロンダリーニのピエタはミケランジェロ最後の作品
スフォルツァ城を正面から見て左側の入り口から入ってすぐのところにロンダリーニのピエタ美術館がある。
ミケランジェロのピエタにはバチカンの「サン・ピエトロのピエタ」をはじめとした全部で4つのピエタ像がある。
ロダリー二のピエタはそのうちの一つで、ドーモに近いスフォルツァ城博物館にあるミケランジェロ最後の作品。
88歳で亡くなる4日前までノミを入れていたという像だ。
未完成の作品と言われているが見方によっては完成しているという説もある。
美術館の中はピエタ一体だけがある
この美術館、中にある作品はこのピエタ一体のみ。
僕らが訪れた日は観光のシーズンオフだったせいなのか、来客はほとんどいない。
体育館の3分の1ほどの広さの展示場の真ん中にその像はあった。
美術館の奥に向かって置かれているため入り口からはマリアがイエスを引き起こしている後ろ姿が見える。
この像がミケランジェロが亡くなる直前まで手をかけていたことを思うと、この像から発せられる悲哀や畏敬の雰囲気に圧倒される。
この像を見た瞬間になぜか涙が出て来るという評判も納得か。
美術館の縦長の奥にはゆるい階段状の長椅子ありそこからピエタ像を離れて鑑賞することができるようになっている。
僕らはその椅子に腰をかけてしばらくの間、誰もいない空間でピエタを眺めていた。
像の加工されていないベース部に掘られたMGRN°1(Marquis Giuseppe Rondinini number One)からもかつてロンダリーニ邸にあったことがわかる。
ピエタとはイタリア語で「哀れみ」、聖母マリアが死したキリストを抱いている場面を表す言葉
ピエタはイタリア語で「哀れみ」の意味。
キリスト教では聖母マリアが十字架に貼り付けになり亡くなったキリストの体を支えている姿を表す言葉。
ミケランジェロが手がけたピエタ像は全部で4つある。
バチカンにあるピエタは唯一完成した像だと言われている。
その造形美は見たものを畏敬の念を呼び起こし一枚岩の大理石で作られていることを忘れてしまうほど。
二つ目のピエタはフィレンツのドゥオーモにあるピエタ。
「フィレンツェのピエタ」と呼ばれている。
実はこの像、ミケランジェロが自分の墓に飾るために作ったという説がある。
キリストの背後に立つ二コーデモの像の顔がミケランジェロのように見えるらしい。
3つ目の像はフィレンツェにある。
「バレストリーナのピエタ」と呼ばれ、フィレンツェのアカデミア美術館に置かれている。
ただ、この像は完成度が低く、本当にミケランジェロの作品かどうか今だに議論されているらしい。
そして4番目のピエタが今回訪問したミラノ・スフォルツァ城の博物館にある美術館に一体だけ展示されてるロンダリーニのピエタ。
もともとはローマのロンダリーニ邸の中庭に置かれていたためにこの名前がついた。
4つのピエタ
整理するとミケランジェロが手がけたピエタ像は
①バチカンにある「サン・ピエトロのピエタ」
②ドゥオーモにある「フィレンツェ のピエタ」
③フィレンツェのアカデミア美術館にある「パレストリーナのピエタ」
④ミラノにある「ロンダリーニのピエタ」
の4つ。
①の「サン・ピエトロのピエタ」以外は完成していないという。
残りの3つの未完のピエタ像の中でも「ロンダリーニのピエタ」が注目を浴びているのは、やはりミケランジェロが死の直前まで手をかけていたということが大きいのだろう。
この像を眺めていると、ミケランジェロがノミをふるう姿が見えるような気がする。
今回のミラノ訪問は(昨日の)最後の晩餐とロンダリーニのピエタを観ること。
二つの目的を達成した僕らは、ミラノ滞在最後の晩餐として予約していた🔗サルディーニア料理の店Baia Chiaに向かった。
何か憧れを実現した時の満足感は言葉にできないものがある。
例え、それが小さなことでも、そのために遠く離れた街まで出かける必要があったとしてもだ。
これが僕が旅を続ける理由かもしれない。
訪問年月:2019年12月
ロンダリーニのピエタ美術館
住所:Castello Sforzesco, Piazza Castello, 20121, Milano
URL : https://rondanini.milanocastello.it/en