ここで紹介するのは今からずっと昔に英国へ行った個人旅行の話である。
あまりにも古い話で恐縮だが、この旅がきかっけで僕はそれから先、数十年に渡り海外個人旅行をするようになった。
ただ、この話は古すぎるが、当時の旅に対する想いは、今も変わりはない。
これから、個人で海外を旅してみたいと思っている人の参考になればと思う。
ただ、途中には現在の情報も載せるようにした。
英国(イギリス)の旅はここから始まった
本や映画に影響されて何か行動に移すことがある思う。
僕が英国を個人で旅行したいと思ったのもある本がきっかけだった。
本のタイトルは「シャーロック・ホームズへの旅」。
シャーロックホームズに魅せられた著者2人が英国とスイスのホームズゆかりの地を訪ねてまわった旅行記である。
英国編ではロンドンを訪ね、列車で英国全土をスコットランドを経由して一周するというもの。
「シャーロックホームズへの旅」
著者の小林司さんと東山あかねさんご夫妻は有名なシャーロッキアン。この本を読んで行くうちに自分でも列車旅ができそうに思い、実行に移した。
海外を個人で旅をすることは僕の夢だった。
学生時代、アメリカ大陸をグレイハンドバスを使って旅をする計画を立てたが、優柔不断な性格が災いしてか実行するには至らなかった。
それ以来ずっとそのことが心残りになっていた。
社会人になって、初めて仕事で海外へ行く機会があったが、当然、業務優先の旅であり、自由に動けるわけもなく個人旅行への憧れを強くした。
そして今から33年前(1988年)の4月、この本を手に入れてから半年後、連休を利用して英国を旅することを決めた。
もちろんツアー旅行ではなくこの本に書かれた内容を参考にした個人旅行だ。
渡航前の準備>>深夜の国際電話
今でこそ、航空券の予約やホテル、列車の手配はオンラインとクレジットカードだけで簡単にできるが、当時はそのどれもが個人で手配を行うのは大変な時代だった。
航空券と電車のチケット(ブリットレイルパス:Brit Rail Pass)は旅行社に依頼し、ホテルやB&Bなどの宿については現地で手配と決めていた。
ただ念のため最終日とその前日については事前に日本から電話でホテルを予約することにした。
イギリスとは9時間の時差があるので相手の営業時間に合わせて電話は国際電話料金割引になる23:00になるのを待ち、事前に英文で依頼文を用意し何度もセリフを暗唱して準備した。
心臓バクバクで電話をかけ、一方的に予約日と名前、連絡先を伝え、なんとなくOKの反応を感じて電話を切った。
多分予約完了!と勝手に判断し床についた。
しかし、その夜はすぐには寝つけず浅い眠りの中、英語で夢を見た(錯覚です)。
懸命に英語で話しているのに相手には全く通じない夢だった。
英語をもっと勉強しておけばよかった!
(もっとも個人旅行で英国に行くのだから現地での英語も心配なはず。しかしその時はその重大なことをあまり意識していなかった。案の定、現地についてから苦労することになる。)
補足1)昔:チケットは旅行社or自力手配 ➡︎ 今:インターネット+クレジットカード 現在は航空券、ホテル、列車の予約の全てがウエッブサイトで予約が可能。便利になったものだ。 僕が現在利用しているのは
◼️航空券は主にANAの予約サイトを利用。
ANAのホームページから簡単な操作で予約、発券が可能。以前は予約だけである一定期間、チケットの確保ができたが、最近は予約と同時に発券の手続き(支払い)が必要になっている。ただし、新型コロナウイルスの影響で詳細が変更になっている可能性があるので最新情報を確認して欲しい。
◼️ホテル:主にホテル予約サイトのホテルズドットコムを利用
今まで利用してきてトラブルは経験していない。さらに10泊すると1泊の平均価格に見合ったホテルの1泊分が無料で利用可能になるという特典もある。(ただし全てのホテルで利用可能ではないので確認が必要)
◼️列車予約:現地版の予約サイトの利用が割安だが英語での操作になる。
欧州の場合、日本語で対応可能なRAIL EUROPが便利だ。ただし現地版に比べて手数料がかかるため多少の出費は覚悟する必要がある。
※2020年3月で日本語対応ができなくなったという情報があるが、詳細は確認していない。
上記は僕が2020年2月まで利用していた例だが最近はコロナ禍の影響で状況が変化しているようなので利用の際は最新情報を確認していただきたい。
2日目:ロンドン到着、ユーストン駅でいきなりのトラブル
初めての海外フライトはアンカレッジを経由して無事に予定通りロンドンヒースロー空港に到着した。
この日は早朝6時に着いたためロンドンで少し観光してからその日のうちに深夜発の夜行寝台特急列車でスコットランドへ移動を予定していた。
逸る気持ちを抑えながらロンドンでホームズの足跡をたどり、まずはホームズの事務所があったとされるベーカストリート221Bへ。
そのあと第一関門であるエジンバラ行きのナイトスコッツマンの座席予約のためユーストン駅へ向かった。
しかし、ここで問題が発生(これが1つめのトラブル)。
最初のトラブル
駅の窓口に行き、拙い英語で席の予約を申し出たところ「満席のため今夜の座席はない」とのこと。
代わりに明日の昼に出るフライングスコッツマンであれば用意できると。
事前に日本でブリットレールパスは手配していたが、夜行寝台の座席は現地でと考えていたのが大間違いだった。
頭の中が真っ白になった。
問題はその日の宿。
到着した夜に夜行列車でスコットランドへの移動を考えていたのでその日はホテルの予約はしていない。
日程を変更してロンドンで宿を探し予定を調整する選択もあったが何日もかけて練ってきた日程。
そう簡単には変えないぞという意固地な気持ちと時差ぼけで頭が回っていなかったこともあり窓口の前でしばらく無言で立ち尽くしていた。
係員は肩をすくめて両手を上に。「あーなんてこった」
しかしその後妻の何気ない提案で事態は好転した。
補足2)昔:アンカレッジでトランジット ➡︎ 今:直行便
アンカレッジでトランジットと聞いて懐かしいと思うのは今や年配の諸兄のみ。 33年前当時、日本から欧州へ行く飛行機はアンカレッジを経由するいわゆる北回り路線と中央アジア・中東を経由する南回りが主流。 ソビエト(当時はロシアではなくソビエト連邦)上空の飛行許可が得られなかったのと当時は飛行機の航続距離が短く直行できる便がほとんどなかったためだ。 所要時間はアンカレッジでのトランジットを含めると成田空港からロンドンヒースロー空港まで約17時間。今の直行便よりも5時間以上長いの旅程だった。
余談だが、このフライト中、気分が優れなくなった乗客を客室乗務員が気分転換にとコックピットに案内していた。今では考えられないそんなよき時代だった。
補足3)ナイトスコッツマンは現在は廃止に ロンドンとエジンバラを結ぶ夜行寝台特急列車、通称ナイトスコッツマンは残念ながら廃止になった。日本でも鉄道の高速化に伴い夜行列車が次々に廃止されているが、なんとも寂しい話だ。 現在ロンドンとスコットランドはキングスクロス駅からバイブリーエジンバラ駅までの633Kmを4時間でフライングスコッツマンが結んでいる。140年以上走り続けて歴史ある「英国の誇り」と呼ばれる列車だ。
キングスブリッジ駅で「あるよ」
妻が「特急列車も駅によっては席の持分があるんじゃないの?
日本の特急だってA駅で買えなくてもB駅でなら買えることがあるから(妻は田舎の私鉄の話をしていた)」と。
とはいえここはイギリス、日本とは違うぞと思いながらも、駄目もとで最寄りのキングスクロス駅へ急いでバスで移動。
同じユーストン駅発のナイトスコッツマンの席を確認すると、なんと「あるよ」との回答。
妻のドヤ顔を横目に、23時45分発ロンドン発エジンバラ行き寝台列車ナイトスコッツマンのファーストクラスを予約(セカンドクラスは売り切れ)。
何事も試してみないと分からないものである。「終わった人」になった今も妻に頭が上がらないのはこの時からか・・・。
3日目 エジンバラのボビーズバーでヘビーランチ
なんとか手に入れた座席(実際は寝台なので部屋)は、2つの隣り合ったコンパートメントがドアで結ばれて行き来ができる構造。
疲れていたのと時差ボケのため列車の発車と同時に二人とも即寝落ち。
途中エジンバラまで残り1時間ほどの地点でトイレに立つと車窓にうっすらと見えるのは、噂に高いイギリスの田園風景。
今も忘れることのできない白み始めた空に浮かぶ幻想的な風景だった。
ついでにトイレの便器(なんとロイヤルドルトン製 )の震えるほどの冷たさも忘れ難い記憶に。
早朝に車掌が持ってきてくれたアーリーモーニングティーで一服していると、列車は予定通りエジンバラに到着。
駅のインフォメーションでその日の宿(B&B)を予約した。
ナイトスコッツマンで出される アーリーモーニングティー。事前に依頼しておくと早朝に車掌が届けてくれる。
宿の予約がスムーズにいったので本日の幸運を予感しながらエジンバラ城を観光した後、スコットランド版忠犬ハチ公で知られるボビーの名のついたバーで朝食を兼ねた昼食を採ることにした。
ボビーズバーでは昨晩、夕食を抜いたこともあり本場のスコッチウイスキーには目もくれず山盛りの食事を注文。
周りの席には地元の人と思われる方々が昼からスコッチウイスキーを楽しんでいる。
スコットランドでウイスキーも飲まずに爆食いする僕らは完全に浮いてた。
つくずく自分が下戸なのが残念でならなかった(注:数年後、多少お酒は飲めるようになりました)。
ボビーズバー。スコットランドのバーでスコッチを飲まないで爆食いしている僕らを周りは不思議そうに見ていた。
補足4) B&B Bed & Breakfast の略。 説明は不要かと思うが、文字通り宿泊と朝食をセットにした宿泊施設で日本の民宿のようなもの。アットホームな雰囲気で今でも個人旅行者に人気の宿だ。 僕らが泊まったB&Bを先日GOOGLEのストリートビューで調べたところ、なんと同じ建物でゲストハウスを続けているらしい。当時の写真と比べて見ても建物の外観は全く同じ。さすが英国だ。
4日目:2度目のトラブル・エジンバラから湖水地方へ
この日はエジンバラからグラスゴーを経由して湖水地方として有名なウインダミアへの列車の旅。
英国大好きな妻のリクエストでピーターラビットの故郷を訪問することにしていた。
距離にして東京ー広島くらいだろうとエジンバラ発の特急列車に乗車。
一等車を選択したので席はコンパートメント。
他の乗客はいない。
妻と二人だけの空間で車内販売で購入したコーヒーとスナックでしばし車窓の旅。
「これだよ,これがしたかったんだよ!」と思ったのも束の間、そのあと悲劇が待ってた。
2度目のトラブル
一昨日のユーストン駅でのトラブル続いて2度目のトラブル発生。
その年の5月1日は日曜日、渡航前に調べてなんとなく不安を感じていたがそれが現実に。
イギリスでは列車のスケジュールが突然変更になることが頻繁にあり(現在も注意が必要)、特に日曜日にその傾向が強いと。
僕たちが乗った列車はエジンバラ駅の電光掲示板には時刻表通りに目的地が表示されていたので安心していた。
個人旅行だったので事前の確認は慎重にしていた(つもりだった)。
しかし、列車が出発してしばらくしたときに車内放送が・・・・。
当然だがアナウンスは英語のみ。
ただでさえ前日、B&Bのオーナーとの会話でつくづく自分の英語に対する自信を無くしていたところに列車の騒音に被って聞こえてくる早口のアナウンス。
「うっ!なんだか嫌な予感。よくわからないが行き先が変更になったみたいなこと言ってるような言ってないような」
妻には「きっと、スコットランド訛りの英語だからわからないんだ、列車の騒音もあるし」と言い訳をしてみたものの、そもそも英語力なさすぎ~。
何れにしても状況を把握しなければ。
現在ならばグーグルマップを使って自分の位置を簡単に確認できるが、当時はそんなすべもなく、放送があってからは通り過ぎる駅の看板と持参した地図の駅名を確認しながら今どこにいるのかを必死で探すことに。
窓から顔を出して通りすぎる駅名を確認していると、すぐ前のコンパートメントからも顔が、お互い顔を見合わせて困り顔。
「やっぱり行き先が変更になってる」と確信。
とてもとても「優雅な車窓の旅」どころではない。
そんなこんなで散々な列車旅になってしまったが、その日は深夜に予定していた宿へなんとか到着した。
疲れた~。
事の顛末は後ほど。
5日目:湖水地方で妻と喧嘩
昨日のトラブルでほとほと疲れ果て昨晩はエジンバラ駅のインフォメーションから事前に予約していたB&Bに深夜に到着した後は夕食抜きで爆睡。
次の日の朝、時差ボケも次第に解消して来たのか目覚めは悪くなかった。
そして、その日は丸一日、湖水地方を散策して過ごすことにした。
ピータラビットの作者でウインダーミアの自然保護に貢献したビアトリクス・ポターが暮らした湖水地方は彼女の作品に出てくる景色がそのまま残っており、昔のままの姿で保存されている。
事前に調べていたが実際にピーターラビットの絵本に描かれている同じ景色を見つけると嬉しいものだ。
タワーバンクスアームズで妻と喧嘩
その日、イギリスに来て初めて妻と喧嘩した 、原因は今となってはよく覚えていないが、おそらくお互いに前日までのトラブルでストレスが溜まっていたのだと思う。
そのため、直後に訪れたピーターラビットの絵本にも出てくるパブ、タワーバンクスアームズでは気分が最悪で写真を撮るのも忘れてしまった。
記念に撮りたかった一枚だったが、後悔しても仕方がない。
気を取り直してそこで昼食にしようとした時、たまたま一緒になった日本人の若いご夫婦に「さっき喧嘩してたでしょう?」と言われた。
一部始終を目撃されてたのだ。
僕が妻からどつかれていなかったのがせめてもの幸いだった。
ご主人の話では、ヒースロー空港からレンタカーで湖水地方を経由してスコットランドまで行くという。
少し離れたところではカウンター越しに奥様が流暢な英語でお店の人とおしゃべりしている。
「英語、勉強するぞ!」「今度はレンタカーでイギリス廻ってやる」妙なライバル心が湧いて来た。
レンタカーで廻る旅はそれから3年後の2001年に実現→🔗英国の一番美しい村を廻る
ところで昨日のトラブルだが、列車は目的のウインダーミア駅にはいかず全く違う路線を走り、ランカスター駅に到着、そこが終点。
なんで?駅員を探し、「ウインダーミアに行きたいんだよ!」を猛烈アピール。
この時が一番英語が流暢に話せたような(多分これも錯覚)。
結果、僕たちはそこからバスで代替え輸送してもらえることに。
バスはあのイギリス特有の2階建の赤いバス。
カーブで倒れそうなくらいの超高速でランカスター駅から20マイル(約32Km)離れたオクセンホルム(Oxenholme Lake District)駅へ移動。
そこからは更に待機していたマイクロバスに乗り換え目的のウインダミア駅へ向かった。
深夜になっていた。
駅にはマイクロバスに乗る前に公衆電話で事情を説明しておいたB&Bのオーナーが迎えに来てくれていたのでなんとか宿へたどり着くことができた。
必要に迫られたら拙い英語でも電話で伝えることができるんだ(ちょっと自信回復)。
オーナーに感謝だ。
ウインダーミアの土地はナショナルトラストの管理のもとに、自然が守られている。
6日目:アポなし工場見学
ウインダーミア駅から列車を乗り継いでウエッジウッドの工場があるストークオントレントに到着。
なんの予約もなしに、これもまた妻のリクエストでウエッジウッドの食器がどんな風に作られているのか知りたいと、工場を訪問。
今なら、事前予約は必須、というか当時でも必要だったと思うが、怖いもの知らずで工場の入り口で訪問の趣旨を伝えるとイケメン(写真とってません)のガードマンが快く工場の担当者へ連絡してくれた。
そして僕らはビジターとして工場内へ入ることができた。
工場内はすべてが手仕事のようで、僕らが家で使っているのと同じカップを見つけ、職人が慣れた手つきで絵を描くのを感心して見ていると、案内をしてくれた係の女性が「あなたたちは学生?」と聞いて来た。
僕らはすでに30歳に近い年齢であったが若く見えたのだろか?妻は若く見られたせいで横でニンマリしている。
多分だが、僕が見学したいと言いたくて辞書で見学=Study by observation と調べていたのを思いだして、単にStudy・・と係の女性に言ったことで学生だと思われたのだろう。
妻よ、若く見られたのではないと思う、それは誤解だ。
列車の遮断機は人力で開閉する。
補足5)ウエッジウッドのビジターセンター
現在でもウエッジウッドは同じ場所でビジターセンターを開いているらしい。ウエッブで事前予約できるようで有料のコースがある。
予約サイト https://www.worldofwedgwood.com/content/visit
7日目:オックスフォードで野宿を覚悟
学問の都、オックスフォードへ。
この日はロンドンに戻る前日。
よくぞここまで無事にこられたと自分で自分を褒めていた矢先。
3度目のトラブル発生。
オックスフォードで3度目のトラブル発生
旅にも慣れて来たので余裕で市内を観光。
そろそろ今夜の宿をと思い地図を辿るのも面倒なのでタクシーで直接目当てのB&Bへ(予約はしていなかった)。
余裕綽々で宿泊を申し込むと「NO ROOMS!」と言われたどうかは忘れてしまったが、両手で追い払うようなジェスチャー付きで断られてしまった。
あたりはすでに薄暗く「今夜は駅で野宿かなあ~」と妻の方を振り返ると「何言ってんの!」という目で僕を見ている。
ウインダーミアの再燃かと思っていると妻が「さっきのタクシーの運転手がまだそこにいるからどこか宿を紹介してもらったら」と。
妻は、こういう時は 「こうしたら」「ああしたら」とは言いうが自分では何もしない。
また喧嘩をしても仕方がないので、妻の仰せの通り、ここへくるときに乗ったタクシーの運転手に事情を説明。
知っているホテルがあるから紹介するとのこと。
なんとか駅に近い小さなホテルにチェックインできた。
近くのレストランで遅い夕食をとると妻は黙って一人ベットで就寝。
僕は履いていた靴のカカトが取れてしまったので、近くに修理店がないかと店探し。
情けない(汗)。
クライストチャーチから見たオックスフォードの街並み
この地方特有の茅葺の屋根
8日目:ロンドンに戻って来た。
この日はオックスフォードから直行でロンドン、パディントン駅へ。
渡航前に予約していた シャーロックホームズホテルへ(注:現在もホームズホテルとして営業している)。
渡航前に日本から深夜に電話で予約したあのホテルである。
実際にチェックインするまでは正直不安だったが問題なく予約受承り済みでチェックインを完了。
本にも出ていたパブ「ザ・シャーロックホームズ」でホームズの居間が再現された部屋を見ながら夕食を摂りながら列車旅の思い出とトラブルを妻と語りながら楽しい時間を過ごすことができた。
この日の夕食がこの旅で一番リラックスできたと思う。
なんだかんだ言っても移動しながらの旅は神経を使うものだ。
だが楽しいのも事実だ。
9日目:ハイドパークホテルでアフタヌーンティー
この日はイギリス滞在の最終日。
ロンドンに戻って一番したかったのが憧れのハイドパークホテルでのアフタヌーンティ。
もちろん、これも妻のリクエスト。
当時、20代の若造夫婦が入るには気が引けそうなハイドパークホテルのボールルーム。
窓からはハイドパークのグリーンが借景で映え、ピアノの生演奏がハイソな雰囲気を醸し出している。
ホテルのレセプションでアフタヌーンティの場所を訪ねた時のコンシェルジュの対応の良さにホットしながら、やはり一流ホテルは違うなと感心した。
いつかこのホテルに泊りに来よう。そう誓った。
おしまいに
以上が33年も前の旅の話である。
記憶を頼りに書き出してみたが、いくつか欠けている箇所や誤った記述があるかもしれないがご容赦願いたい。
ただ、この旅が自分で企画し現地でトラブルに遭いながらも行動できたことは、大袈裟かもしれないが僕の人生で大切な経験となった。
考える前に行動することの大切さと楽しさを教えてくれたのもこの旅であった。
「終わった人」になった今も残りの人生を過ごす基本になっているように思う。
補足6)まだまだ「終わらない」若い皆さんへ
現在は新型コロナウイルスの影響で海外への渡航は困難な状態だが、この病気が収束して元の生活を世界が取り戻したら大いに旅をしてほしい。
国内旅行や海外パケージツアーも良いが、できれば個人で海外の旅を企画、準備して実行してみてはどうだろうか。
おそらくいくつかのトラブルに遭遇すると思うがその経験は決して無駄にはならないはずだ。
そして最低限、旅行で使える程度の英語は勉強してほしい。
僕も60歳を過ぎていまだ勉強中だが、英語ができると間違いなく世界は広がる。
ブロークン英語で構わない。旅行で使う英語に完成度は求められいない。 これがしたい、あれがしたい、食べたい それだけで十分だ。
4月28日 成田空港~アンカレッジ空港(トランジット)
4月29日 ~ロンドン・ヒースロ空港に早朝に到着(英国航空 B -747) ロンドン ユーストン駅(1日目深夜)~ エジンバラ(ナイトスコッツマン)
4月30日 エジンバラ観光
5月 1日 エジンバラ~グラスゴー~オクセンホルム~ウインダミア(当初予定)
実際には突然の列車の変更で エジンバラ~グラスゴー~ランカスター(列車)~オクセンホルム(2階建バス)~ウインダーミア(マイクロバス)
5月 2日 ウィンダーミア
5月 3日 ウインダーミア~オクセンホルム~クルー~ストークオントレント(列車)
5月 4日 ストークオントレント~バーミンガム~オックスフォード(列車)
5月 5日 オックスフォード~ロンドン(列車)
5月 6日 ロンドン市内観光
5月 7日 ロンドンヒースロ空港 ~
5月 8日 成田空港 (英国航空)
4月29日~5月5日はすべて列車で移動。全行程 約1600Km。
訪問年月 1988年4・5月