ロンドンから西へ200キロ。オックスフォード、ストラスフォード・アポン・エイボン、バースを直線で結んだ三角形の中にある地域がコッツウォルズ地方。
ここは英国の田園風景の中でも特に美しいと言われている丘陵地帯。
今回の英国への旅はこの地方にあるカッスルクーム、モートン・イン・マッシュ、バート・オン・ザ・ウオーター、バイブリーの4つの村をレンタカーで訪ねた。
注)この地図ではバースからロンドンまでは車での表記になっているが、実際には電車を利用した。
最初に英国を旅したのが1988年。
列車を使いロンドンからスコットランドを経由して再びロンドンに戻る行程の旅だった。
その旅で出会ったのがレンタカーで旅をする日本の若い夫婦。
僕もいつか車で英国を廻ってみたいと心に留めていたが、それを実現させたのは、今回の目的地が鉄道の駅から離れているため車での移動が必須になったため。
英国の列車旅から13年後の2001年のことだ。
海外での車の運転には少し不安があったが、英国は日本と同じで車は左側通行、右ハンドル(というか、日本が英国の交通ルールを真似たのだが)なので、なんとかなるだろうと日本からレンタカーを予約。
この頃はやっとインターネットでメールのやりとりが一般的になって来た頃で前回の英国旅行の時のように国際電話で予約しなくて済むようになっていた。
現在のようにウエッブ上でなんでもできるわけではなかったが、その昔から比べたら断然便利になっていた。
ロンドンでしばし観光
旅程はヒースロー空港に着後、地下鉄でロンドンに向かい予約していたホテルに2泊した後、懐かしのパデイント駅からオックスフォード駅まで行き、そこでレンタカーを借りることにした。
ロンドンから車で出るという選択もあったが市内の運転はやはり避けたい。
前回訪問して様子がわかっていたオックスフォードならば交通量も多くないのでスタート地点として適当と考えた。
日本で🔗国際免許を取得し、2001年の5月、ヒースロー空港に向け出発。
今回はアンカレッジ経由でなくバージンアトランティク航空の直航便でいけるようになっていた。
この航空会社は現在、日本路線から撤退しているが、バージンレコードも運営している会社らしく(現在は売却したようだ)機内エンターテイメント用の個人モニターを備えた飛行機をいち早く導入していた。
今では当たり前になったが、長距離フライトの苦痛から解放してくれた先駆けだ。
この頃、僕は日系の航空会社は避け、渡航先の航空会社を使うように決めていた。
今ではどこへ行くにも日系でなければと思うように変わった(歳のせいか?)が、当時はその国へ行くならその国に所属している航空会社で気分を盛り上げたいと思っていたのだ。
ワイパー動かしてどうするの
オックスフォードでパスポートと国際免許、予約票を提示してレンタルしたのはフォードの1500C Cの車。
海外での初めての運転、どんなに小さなことでも初めての経験は緊張する。
深呼吸していよいよ出発。当時はまだナビなどない時代だったので出発前に何度も予習してきた地図のルートに従い車を走らせる。
右ハンドルで左側通行、楽勝だと思った。
出発して右折しようと方向指示器を倒した瞬間、ウインカーの点滅のかわりに雨も降っていないのにワイパーが。
幸い他の車がいなかったので問題はなかったが、先が思いやられる。
そんなこんなで交通量の少ないルートB4425をコッツウエルズ方面に向け順調?に走り出した。
走り出してすぐに前回の列車旅で、B&Bに宿泊を断られてた時にタクシーの運転手の紹介で泊まることができたホテルが見えてきた。
懐かしい思い出が蘇ってきた。
英国の道
英国の地図には道路は、Mx、Axx、Axxx、Bxxxで表記されている。
「M」は「Motorway」の略称で高速道路、A Bは国道でその後に続く数字の桁が増えるほど交通量の少ない田舎道になる。
当時のドライブに必須だった道路地図
今ではカーナビやスマートフォンの地図アプリで初めての場所でも時に準備はしなくても問題はないが、当時は事前に地図でルートを探すのが旅の準備だった。
ラウンドアバウトを初体験
しばらく走り運転にも慣れてきた頃、最初の難関、ロータリー式交差点のラウンド・アバウトの標識が見えてきた。
英国の交通ルールはほぼ日本と一緒で戸惑うことはほとんどなく、ドライバーのマナーも大変良いのだが、このラウンドアバウトは慣れるまでが一苦労。
ラウンド・アバウト内では右からの車が優先なので、中に入る時は右側から車がこないことを確認。
右折する時は右のウインカーを点滅(ワイパーではない)させながら円周の中を走り目的方向の道路が見えたら左のウインカーを出して素早く出て行く。
左折する場合は最初から左のウインカーを出して円周の中に入れば良いのだが、廻っているうちに方向がわからなくなりラウンドアバウトの中をぐるぐる廻ることに。
回れば廻るほど方向がわからなくなる。
実際僕らもラウンドアバウトの中を何周もして元の道に戻ってしまった。
信号機の様な設備が不要なので経済的なのだが、慣れるまでに少し時間がかかる。
カッスルクーム
カッスルクームは、昔は羊毛産業で繁栄していたが、19世紀頃から鉄道の路線から外れていたため、村は急激に衰退した。
のちの産業革命からも取り残されたため、この村は、15世紀から変わらない中世の街並みをそのまま残している。
古い街並みは、500年前の景観をほぼそのまま残していて昔の姿をそのまま残している。
蜂蜜色の「コッツウォルズストーン」が使われ、その色合いと素朴な質感の家は、花々と緑を美しく引き立てている。
カッスルクームの基本情報
名 称:カッスルクーム
モートン・イン・マッシュ
ここモートン・イン・マッシュはバイブリーに行くバスが出る最寄りの駅の街。
コッツウオルズ地方にある街。
観光名所的なところはないが、落ち着いた雰囲気でお店の数は少ないものの、アンティークショップやカフェで一服するのも趣があっていいかもしれない。
車でなかったら、列車でモートインマッシュ駅で降りてバスでバイブリーに向かう入り口の街になる。
この駅まではロンドンのパディントン駅から約2時間。
バスはコッツウオルズのいくつかの村を回るが、一日の本数は少ない。
現在(2021年)もここがコッツウオルズの入り口の街であることは変わっていないようだ。
僕らは街からすこし離れたDornという場所にある農場を併設したNew Farm というB&B に宿泊。
翌日のバイブリー訪問の前泊と考えていたのでB&Bを選んだようだ。
ようだ というのは、今から20年も前のことなので、少し、記憶が飛んでいた。
当時の写真と道路地図を頼りにストリートビューを使い探すこと1時間。
以前に見たのと同じ風景を見つけ、記憶を辿ることができた。
オックスフォードからはカッスルクームに寄り道しながら約2時間で到着。
到着したのは夕方近く。
思い出しついでに食事について触れておくと、ここは、B&Bなので夕食は摂れない。
おそらくどこかに食べに行ったのだと思うが、記憶が蘇って来ない。
結局その日の夕食の記憶がない。
旅に出ると景色や名所の記憶は薄らぐことはあっても、何を食べたかは鮮明に記憶している(喰い意地が張っている?)のだが・・・。
翌朝の朝食は、絵に描いたようなイングリシュブレックファースト。
目玉焼きにソーセージ、トマトのグリルとサラダ、さらにパンプキンスープ、とっておきの紅茶。
パンは自家製のようで焼きたてでふわふわだ。
英国にきたら食事は3度、朝食をとるのが賢いと言われるように、味もボリュームも満点だ。
妻の食欲が凄かったことを覚えているので、もしかしたらその前の晩は夕食を抜いていたのかもしれない。
宿泊先のB&B NEW FARM。
グーグルストリートで調べて見たら、「NEW FARM」の看板があったのでファームは今現在も同じ名前で運営している様だが、B&Bの表示はなかった。B&Bはもうやめてしまった様だ。
写真を見ると、妻は両手で朝食を食べている。
やはり、昨晩は夕食らしいものは食べていなかった様だ。
モートン・イン・マッシュの基本情報
名 称:モートン・イン・マッシュ
バート・オン・ザ・ウオータ
バート・オン・ザ・ウオーターはその名の通りモートン・イン・マッシュからバイブリーに向かう途中にあるコッツウオルズのリトルベニスと呼ばれる観光名所だ。
リトル・ベニスと呼ばれる場所はここ以外にも沢山あるがここは水深20cmほどのウインドラッシュ川が村の中心を流れる場所。
澄んだ水の流れに特徴のある5つの橋がかけられていて川の両側には散策のための遊歩道があるが、すべて歩いても30分ほどで道は終わる。
川の周りには蜂蜜色の家々が並び窓には個性的な花が装飾されていて写真を撮りながら歩くのにちょうど良い場所だ。
当初、訪問の予定にはなかったのが通り道だったこともあり休憩ついでに寄ってみた。
確かにヴェニスと言われればヴェニスと言えなくもないがリトル・ヴェニスというよりもミニチュア・ヴェニスと言ったところか。
川沿いをゆっくり散歩した後、バイブリーへ向けて出発することにした。
雑貨店の外観がかわいい。こういう店を見かけるとついつい覗いてしまう。
バート・オン・ザ・ウオータの基本情報
名 称:バート・オン・ザ・ウオータ
バイブリー村
コッツウエルズで一番美しい村と呼ばれるのがバイブリー村
バーフォードからB4522線に乗って20分ほど走ると道はくだり坂に、コルン川にかかる小さな橋を渡るとすぐ左に「スワンホテル」が見える。
バイブリーに入った目印だ。
このホテルを過ぎ坂道を登りながら今夜の宿、マナーハウスを目指す。
車の中で妻は無言、話しかけても返事はない。
理由はもう忘れてしまったがこの時僕らは些細なことで口論になり喧嘩をしていた(20年経った今でもその傾向は変わらない、困ったものだ)。
気まずい雰囲気のなか僕はひたすら運転に集中。
突然、「わあ~すごい!」夕焼けで日が差す右側の車窓を見ていた妻が声をあげる。
僕は不機嫌だったためにこれを無視してそのまま無言で運転していた。
あとで聞いたところ夕日に染まったアーリントンロウが突然視界に入り、この世のものと思えない幻想的な風景が現れたのだという。
アーリントンロウは14世紀に羊小屋として建てられその後作業場と住居を兼ねるように改築された建物。実際に人が住んでいるが別の世界の風景としか思えない・・・・。
翌日散策で訪れた時の感想だ。
「昨日、夕日に浮かぶこの景色見たかったな」つぶやく僕に妻は口には出さないが「あんたが悪い」の表情。
コルン川の対岸から見たスワンホテル。バイブリー村のランドマークだ。
この路を歩いていると遠い昔の空気が流れているのがわかる気がした。
穀物倉庫として使われていた建物
実際に今も人が暮らしていると聞き日本の五箇山の合掌造りの家を思い出した。
マナーハウスでくつろぐ
その日の宿泊はバイブリーコートホテル。
17世紀頃のマナーハウスを改装した宿泊施設だ。
館の敷地にはコルン川が流れフォトジェニックな風景にあふれている。
このコルン川、マスの養殖でも有名で、レンタルで道具を借りてマス釣りができるらしい。
その時は1泊の予定だったので遠慮したが機会があればのんびりと釣りを楽しみたいと思う。
できればかつて開高健がそうしたように、ハリスツイードのジャケットを着て英国伝統の正装で釣りをしたいものだ。
このマナーハウスは日本からメールで予約した。
設備は古い城を改造してあるので最新式とは言えないが、建物と空気感がとてもいい。
ホテルでの夕食も素晴らしく、食後のデザートは暖炉のある別室に案内されくつろいだ雰囲気で味わうことができた。
昼間の喧嘩のことはどこかへ消え失せ、また旅に来られた喜びをしみじみ感じた夜になった。
翌朝、朝食前にホテルの前のフットパスに沿ってアーリントンロウまで散歩。
途中、犬の散歩をする地元の年配の女性とすれ違い、アーリントンロウでまた出会った時はお互いに笑顔で挨拶を交わした。
こういう何でもないことが気持ちを和ませてくれる。
それにしてもこのバイブリーはウイリアムモリスが「イングランドで一番美しい村」と賞賛したというが、もっともな場所だと思う。
あれからもう何十年と時が過ぎているがこの村はまだ昔のままの姿をとどめているだろう。
いつかまた再訪したいものだ。
「今度来たらコルン川でマス釣りをする」の約束は、その時は実行しよう。
バイブリー村の基本情報
名 称:バイブリー村
バース
最終目的地のバースに到着。
目的地と言ってもこのバースを見学する予定はなく、車の返却が目的。
市内に入ると道が複雑で返却すべきレンタカーの事務所を見つけるのが一苦労だった。
ガソリンを満タンにして返却しなければとガソリンスタンド(PETRO)を探すがなかなか見つからずバースの街をうろうろ。
道が狭いうえに、坂道が多く今まで走ってきた田舎道と違い、緊張しながらの運転。
幸いPETROを見つけこの旅で最初で最後の給油をした。
レンタカーの事務所ではキーを受け付けに渡すと「THANK YOU!」の一言で返却手続き完了。
車を確認する訳でもなく、書類さえチェック無し。
あっけなく旅が終わった。
まとめ
今回の旅は、僕の初めての海外でのドライブであり、今までできなかった(しなかった)ことを実行できた貴重な体験だった。
海外で車を運転するということの経験は、それから数十年後に僕が一人旅をしたニュージーランド行きに大きく関わっていたように思う。
この経験を後に生かすことができたのは
⒈思ったことを実行に移すこと
⒉海外での運転の経験
この2つだ。
ニュージーランドでは交通ルールが英国のそれとほぼ同じだった事もあったが、何の抵抗もなく車で2時間の移動をしようと思ったのもこの経験があったからだ。
そして思ったことを実行に移せた経験がニュージーランドの旅にも生かされたと思う。
昔の体験は今に繋がっている。
できる時にできることをやっておく。それはとても大切なことだと思う。
旅程(参考)
1日目 成田空港~
2日目 ~ロンドンヒースロ空港に早朝に到着(バージン・アトランティックエア)
3日目 ロンドン観光
4日目 ロンドン~オックスフォード(列車)
オクスフォードからレンタカーでカッスルクームを経てモートン・イン・マッシュへ。
5日目 モートン・イン・マッシュ~バート・オン・ザ・ウオーター~バイブリー
6日目 バイブリー~バース(レンタカー)~ロンドン(列車)
7日目 ロンドン~成田空港(バージン・アトランティックエア)