ミラノで初めて見たマスク姿のイタリア人
イタリアのマルペンサ空港に到着したのは2020年の2月21日。新型コロナウイルスが徐々に欧州に広まり始めた頃である。
日本から欧州に向かう機内ではマスクはつけていたが、それ以降は「欧州ではマスクは病人がつけるもの、街中でマスクをしていると奇異な目で見られる」という習慣を守りマスクはせずにいた。
しかし、デュッセルドルフから ミラノに向かう機内の僕らの並びの席にマスクをしたイタリア人のグループが。
「あれ!マスクつけてる」と思う間も無く彼らは僕たちに気づくと少し離れた空席に移動していった。しかも僕らの横を驚くはど足早に移動して。
きっと通り過ぎる時には息も止めていたと思う。
その後ミラノのドーモ近くのデパートでも僕らがエレベータに乗り込んだ途端、息を止めたイタリア人がいた。なぜ息を止めていたのがわかったのかというと、僕らが乗り込んだのはデパートの最上階、きっと1階につくまで息が続かなかかったのだろう、途中で大きく深呼吸していた。
それでは何にもならないよ。
お疲れ様。
タクシーに乗った時も、運転手は外が寒いのにも関わらず運転席の窓を少し下げ顔は窓ガラス寄りに。
欧州に徐々に新型コロナウイルスの影響が出始めた頃だった。
この時はこれからイタリアがどんな状況になるのか誰も予想していなかった。
今回の旅は、ドイツのデュッセルドルフ で開催の国際展示会の調査に同僚と二人で参加。
イタリアへはドイツに来たついでにミラノとフィレンツエの話題店を調査するため。
ミラノ中央駅近くのホテルにチェックインした後は時間短縮のためタクシーで目的の店舗に移動した。
話題店は思いのほか近くにあり早々に調査を終了した。
注)実のところ僕はプライベートの旅。同僚は出張だったが、初欧州ということで僕が付き添うことに。
人で溢れていたミラノ
仕事での市場調査とはいえ、今回一緒に行動している同僚は初イタリア。
ミラノに来たらからにはドゥオーモ見学は外せないと思い店舗調査を終えた後、地下鉄でDuomo駅へ。
地下から地上に出て驚いた。
ドゥオーモ広場はいままでに見たことがないほどの人で埋め尽くされていて超密状態。
2月18~24日開催のミラノ・ファッション・ウイークのために人出が最高だったのだ。
そういえば予約していたホテルの価格が高めだったのはこのせいだと気づいたのはこの時だった。
夕方になり予約していたリストランテ近くのナバリオ地区に移動。
出張とはいえ、勤務時間はとうに過ぎていたので夕食前のアペリーティボを体験。
週末だったということもあり、この地区もドーモに負けず沢山の人で賑わっている。
しかし次の日、この風景も廃虚のように変わることになるなど、この時は誰も気づいていなかった。
ミラノからフィレンツエへ
ミラノ名物のカツレツとスピリッツでミラノでの夕食を満喫した翌日、僕らは早々にミラノ中央駅からフィレンツエに向かった。
少し前に近くの路線で脱線事故があり少し不安に思っていたが、予定通りフィレンツエのサンタ・マリア・ノッベラ駅に到着。
昼食はミラノ中央駅の中にあるスーパーで買った軽食を車内ですませていたので、ホテルにチェックイン後は市内を散策、店舗調査は明日行うことにした。
夕食は僕が以前行ってすっかりファンになった、トスカーナ料理の店🔗Trattoria I Due Gへ。
同僚はミラノに続いてここでもよく飲み、よく食べた。
テレビで知ったミラノのロックダウン
翌朝テレビをつけて驚いた。
画面に映るミラノのドゥオーモの前は人っこひとりいない。
昨日僕らがいた運河の周りも無人状態。
テレビでは状況がよくわからなかったので、持参したタブレットで日本のネットニュースを見るとイタリアは今日からブーリア地域を完全封鎖。
そこから出る公共交通機関も遮断とあった。
後1日遅かったら僕らはミラノから出られなかったのか?(汗)。
ホテルのテレビで見たロックダウンの図
その後、日本にいる妻から「大丈夫ですか?早く帰ってきてください。気をつけて」のメールがあった。
そうは言ってもフィレンツエから出るのは明日の朝の🔗ペレトラ空港発の飛行機。
フランクフルトのトランジットで日本に帰国の予定だ。
明日までなんとか状況が悪化しないことを祈るだけだ。
朝食を、ホテルで済ませてから目的の店を回ったり、日曜日だったので昼は🔗中央市場で食事をして過ごしたがフィレンツエの人々はまだ新型コロナウイルスの影響は感じていないらしく普通に過ごしている。
それどころか、この日はカーニバルの日らしく(知らなかった)トラックの荷台を装飾した車が市内を音楽をかけながら練り歩いている。
日本の山車のようだ。その周りを人々が取り囲み唄い踊っている。
とても観光施設を回れる状況ではない。
仕方なくこの喧騒から逃れてのアルノ川沿いを散策してベッキオ橋や遠くからジョットの鐘楼やドゥオーモのクーポラを眺めるのが精一杯だった。
事前に調べておくべきだったと反省した。
せめて日本へのお土産を買おうと尋ねた店では軒並みどこからきたのかを聞かれた。
僕らが中国からきたのかどうかを確認していたようだ。
まだこの頃イタリアでは新型コロナウイルスはチャイナウイルスとの認識が強かったのだ。
帰宅後
僕が日本に戻ったのは2月29日。
家に帰ると妻が玄関の前に立っていた。
手袋をはめた手にはアルコールの消毒スプレー、医療用の保護メガネとマスクをつけ僕が家に入るのを待ち構えている。
「そんなに大袈裟にしなくても大丈だよ」僕のこの言葉は無視して妻は僕の頭からスプレーをかけてくる。
「玄関で洋服脱いだらすぐにお風呂に入ってくださいね」妻の口調はほぼ命令。
妻が本気で新型コロナの心配をしていることはわかったが、同時に自分が旅行にいけなかったこと、僕一人で旅に出たことへの報復に思えた(汗)。
追 伸
あれからもうすでに一年以上が過ぎた。
今これを書いている2021年の5月は世界各地でワクチンの接種が始まっているものの、変異ウイルスの蔓延も確認され、未だ収束の兆しは見えていない。
海外渡航が閉ざされた現在、このドイツ、イタリアの旅が僕にとって最後の海外の旅になってしまった。
一日も早くこの状況が収束しまた再び自由に海外と行き来できる世の中に戻るよう願いたいものだ。
訪問年月:2020年2月